はじめまして代表をしております西田と申します

いままで多くの企業様や担当者様に支えられ事業を継続してきました。今後も多くの企業様と20年後の未来に向けて歩を進めていけると嬉しいです。

当社の経営体質は新しい考えや仕組みを積極的に取り入れて経営をしています。クリエイティブ、提案領域には生成AIを、クライアントと未来を描く際にはブランディング要素を取り入れて経営しています。ですが最先端ではなく「最先端から1歩だけ後ろ」が経営基準となっています

CEO Policy

ITの中心にはいつも人がいて世の中が今よりも良くなる為に行動を起こす

私は常にそんな事を考えながら業務に当たっています。利益を得る為にどれだけ社会貢献するのか?またそれをブラッシュアップし続けれるのか?それを可能にするのはいつも「人」であり、クライアントを想い生まれた「アイデア」だと思います。また皆様には大変申し訳ないのですが、当社と共通言語で話が出来なかったり、自社の利益を中心に考えている等のWIN-WIN取引を望まないクライアントはこちらからお断りさせて頂いておりますのでご了承ください。

Client Policy

変革を一緒にやり遂げたい

今までと変わらないでうまく行けば良いですが、現在の日本経済はグローバル化が進むにつれ、変化し進化して非効率を捨てて世界と競争しています。つまり変わらないという事は日本経済での企業存在価値がなくなり朽ち果てて消えてしまうという事です。弊社の提案は相手に変化を求める機会も多くあります。守りたいものも確かにあります。重要なものは守ればよい、ですが自己利益で過ぎない事であれば周りを苦しめる前に改善すべきだと思っております。互いに挑戦しパートナーとして一緒に成長できればと思っております。

Solution Policy

皆様から聞く課題は真の課題ではない

私は様々なクライアントから様々な悩みの相談を受けてきました。私がまだ若い時クライアントの言っている課題に正面から向き合っても課題が解消する事はありませんでした。しかしチョット考えれば当たり前の事でクライアントが自社の真の課題に気付き、対策を考えているのであれば当社がお手伝いする必要はありません。幻想の課題に振り回されて本質が見えなくなっているからこそ他社が一緒に考え改善する事でソリューションビジネスは成り立つと思っております。そこで当社と関わるクライアントにお願いが1つだけございます。

約束して欲しいのは一緒に考えて頂けること

もちろん投げっぱなしにして頂いても最高のパフォーマンスを表現させて頂きます。取引後に一切連絡がつかなくても手を抜かず担当させて頂きます。ですが「課題解決」は一緒に考えてアイデアを出し合った時にしか解決しない事を私は知っています。それもそのはずです、新しい取引先を探しているという事は「解決できない課題」があるのですから・・・

STAFF Policy

同じ想いを共有しシナジーを発揮する

皆様と実際に商談をさせて頂くのは当社STAFFです。当社は25歳以下の若い社員が多いのでプロとして未熟な面があるかもしれません。ですが世の中を良い方向に導きたい、利用者の為に何が出来るのか?を考えながら仕事する様に指導しています。当社に乗り換えて頂いて課題が解決する事が多いのも事実です。当社がSTAFFに求めるのは、商品説明のプロではなく、クライアントに寄り添って提案できるプロです。

経歴

1980年12月 岡山県井原市美星町生まれ

岡山県西南部にある名前の通り星のきれいな街です。日本で初めて星空を守るための条例「光害防止条例」が施行されています。コンビニさえも設置できない環境ではありますが「美星天文台」があり国内最大級の「口径101cm反射式望遠鏡」が採用されています。小学生の頃は家の近くという事もあり足を運んでいました。私の夢が育まれたのもこのころの経験があったかもしれません。そのすぐ横に「JAXA 美星スペースガードセンター」が設置されており、宇宙ゴミや地球に接近してくる小惑星の観測を行っています。私は美星小学校、美星中学校を卒業し高校進学により美星町を離れました。

1996年4月 笠岡工業高等学校 電気科 入学

小学校の頃から親のPCを借りてプログラミングしていた事や壊れた電子機械を直すのに興味があったこともあり工業高校を選択しました。高校では電気回路、プログラミング(BASIC、C言語)について学び、部活はテニス部でキャプテンをしていました。私が経営者になるきっかけになったのは高校の先生から聞いた卒業生の成功ストーリーでした。東京でピザ屋で起業して成功した話。高校2年生の時にから企業に向けて少しづつ動き出しました。
■取得資格
第2種電気工事士、危険物取扱者、小型建設機械運転資格 ガス溶接等

1999年 4月 倉敷芸術科学大学 機能物質化学科 入学

大学では化学科を選択しました。機能物質化学は新しい機能、優れた性質の物質をを創り出す分野です。
私は小林研究室に所属しており、プログラミングにより分子・原子の安定レベル測定をしながら、化学反応をシュミュレートする研究室で論文を書いて卒業しました。この分野の特質すべき点は高価な物質を使わずして化合物をシュミュレートできることです。また同大学のソフトウェア学科の授業にも積極的に参加。Linaxを使い自作サーバーを研究室で管理しながらITスキルも同時に磨いていきました。当時のスキルは現在の会社ITを支えています。大学ではアルバイトにも力を入れていて、セールス(toC)、家庭教師、家電量販店販売、居酒屋、レンタルビデオを経験しました。この頃から企業に興味がある学生でしたので経営者を見つけては未来へのアドバイスをもらっていました。

2003年 4月 フジフューチャーズ大阪支店に新卒入社

新卒では「売るのが難しい商品の営業」に就こうと思っていました。商品先物で売れるようになれば、起業した時に武器になると思い入社しました。配属は大阪になりましたが、大阪の商いを知る良い経験になりました。新人100名中5位を達成し2年働きました。ある日「東京へ!」夢である東京で起業する夢が自分の中で大きくなっていき、支店長に話をして円満退社する事となり東京へ足を運んだのです。

2005年 10月 ディップ株式会社 東京本社に入社

転職で目指したのは「ベンチャースピリットがある上場IT会社」。しかし転職活動は大苦戦、就職先が決まるまで半年間かかりました。当時、中途200名、新卒200名採用していたディップ株式会社に拾ってもらう事となったのです。しかしBtoCからBtoBの意識の転換がうまくいかず、最初の1年目は散々な結果。下から2番目の実績で終えることになります。やる気だけが空回りして結果が出せなかったのです。「今はうまくいかなくても20代で必ず起業する!・・・」転機が起こったのが、代理店営業部への部署移動でした。簡単に言うと売れないセールスだったので左遷です。しかしそこで運命的な出会いがありました。
「西田君は何を焦っているの?今何をするのか?1年後は?そして自分の好きなことをすればいい。3軸用意しなさい、一緒にやろう!」リクルートを卒業して海外を見てきた上司は、とても勉強する人で洗練されていて、会話の引き出しが多彩な人でした。ディップが管理している代理店を一緒に周っていく中でノウハウを教えてもらいました。その甲斐あって、当時代理店営業部にて26歳の時に最年少課長へと昇進したのです。管理職になるとクライアントから相談される内容が劇的に変わりました。現場相談から経営相談と言う事です。今まで興味があった分野なのですんなり私の中に入ってきました。ついに起業をする準備が出来た訳です。

2009年1月 フリーランスとしてオリジナルプランを開業

27歳の時に高円寺の北公園横のマンションで独立しました。しかし当時はリーマンショック真っ只中。市場はとても冷えていて、営業に行っても逆にSTAFFを引き取って欲しいと全く話になりませんでした。先行投資を急いだ結果、わずか半年で廃業の危機を迎えたのです。でも奇跡はそういった時に起こるものです。ディップ株式会社で担当していた代理店の社長3人から同時に電話が鳴ったのです。
私は先輩経営者のプロジェクト依頼を引き受け、その傍らで自社の顧客を増やしていきました。そんな中、ディップ株式会社時代に私が担当していた代理店の窓口担当でお世話になっていた担当者が大手派遣会社を退職し手伝ってくれることになったのです。そこから売上を順調に伸ばしていき次のフェーズに移行する時が来ました。融資を受けよう!経験も知識も全くありませんでしたが、思い込めた経営企画書を新宿政策金融公庫に持ち込みました。伸ばしていきたいという思いと実績が評価され350万円の融資を受けることが出来ました。起業2年目、いよいよ株式会社化をする時が来たのです。

2011年12月 株式会社オリジナルプラン設立

高円寺の駅前にある事務所を契約しSTAFFを募集するために求人を始めました。マンションカンパニーからの脱却を行ったのです。いま思えば借入額の割には大きな投資をしたと思っていますが、この時開拓した顧客が現在の当社を支えて頂いているのです。
企業理念「全ての人と企業をHAPPYに」
会社にした際の企業理念です。クライアントだけではなくサービス利用者にも喜んでいただくこと、ビジネスはWin-Winで形成されている事、HAPPYを配った数だけ当社の売上が上がる事。そんな思いを実現する為にオリジナルプランを設立しました。それは社員にも強く求めていきましたが出来たばかりの小さな会社。高く、強い志を持った社員は集まるはずもなく入社しては辞めていきました。しかし、方針を変えるつもりはなく、更に半年に1度社内改革をすることにしました。改革をする度にSTAFFは辞めていきましたが、更に改革を続け、採用方針もそれにより変化し続けました。それは少しづつ確実に浸透していき、クライアントからの支持も少しづつ上がっていきました。2017年夏、遂に移転を伴う改革に動き始めました。
「求人映えするフォトジェニックなオフィス」をテーマにオフィス探しをはじめ、同年11月移転をし新しいオリジナルプランの運営を始めたのです。

2017年11月 神田に本社を移しKanda Laboと名称変更

クライアントの為に自社を使って実験、検証を繰り返す。今までのそんな考えがオフィスを大幅に改装することで次のフィールドに移る事となりました。神田本社をKanda Laboと名称変更し、クライアントとSTAFFの為のオフィスが完成したのです。
今まで何でもありだった社内ルールを制定し、「全てのSTAFFが働きやすオフィス」を目指しました。これは求人原稿と実際に働いてからのギャップ0を実現するために重要なことでした。給与改定もすることで、当社のカルチャーでもあるHalf a year revolution(半年改革)は始まったのです。